ヨルシカを追ってスウェーデンへ —— 模倣と選択、そしてデザインについて

スウェーデン・ガムラスタン 、ヨルシカのアルバム「だから僕は音楽を辞めた」のジャケット写真と同じ場所

この夏、スウェーデンへ行ってきた。 渡航の目的はいくつかあったのだが、大きな動機となったのはヨルシカだ。

「だから僕は音楽を辞めた」と「エルマ」。 これらは、それぞれ対になる物語を描いたコンセプトアルバムである。

「だから僕は音楽を辞めた」では、音楽を辞める決意をした青年エイミーが、スウェーデンを旅しながら、かつてのパートナーであるエルマに向けて手紙と歌詞を書き綴る。対して「エルマ」では、その手紙を受け取った彼女が、エイミーの足跡を追って旅をしながら日記に想いと歌詞を書き記していく。

各アルバムの初回生産限定盤には特典が同梱されており、「だから僕は音楽を辞めた」ではエイミーがエルマへ向けた手紙と風景の写真、「エルマ」 ではエルマが書いた日記と写真で物語が紡がれる。

つい先頃、内容がヨルシカのWebサイトで公開されたので、興味のある人は是非見て欲しい。

「だから僕は音楽を辞めた」エルマへ向けた手紙
https://yorushika.com/feature/moonlight 

「エルマ」 エルマが書いた日記帳
https://yorushika.com/feature/elma

旅のきっかけは、あるヨルシカのファンが書いたブログ記事だった

当初、スウェーデン行きを検討し始めたのは、位置情報ゲーム「Ingress」のイベントがイェーテボリで開催されると知ったからだ。 しかし、如何せんヨーロッパは遠い。Ingressのイベントだけのために渡航するのは、少なからずためらいがあった。

スウェーデンに行って、何をしようか。そんなときに見つけたのがこのブログ記事だった。ヨルシカが好きな学生によるスウェーデン旅行の記事。「だから僕は音楽を辞めた」「エルマ」の写真に映っている場所を訪れるために旅をしたという。

スウェーデン旅 0日目(方針)&1日目 8/30 〜ずっと飛行機の中〜|岡倉桜紅
暇になった時にあったことをメモしておいたものをここに載せている。 17:30 家を出る。 18:20スカイライナーで成田空港第2ターミナルへ。月が大きい。ここから、月明かりを探す旅が始まるのだ。 21:30手荷物検査など色々を終え、カタール行きの飛行機を待つ。62番ゲート。外国の人がいっぱいだ。みんな背が高い。空港の中をうろついたせいでちょっと足が疲れている。 22:50飛行機は飛び立った。約10時間半のフライトだ。夜景が綺麗。寝よ。 23:30大阪の上を飛び越えた。瀬戸内海の上空。国際線の安全の説明動画はユーモアがあって面白かった。日本のは真面目だけど、こういうのもいい。座

この記事を読み、自分も同じようにエイミーとエルマが歩いた街を、彼らが見た風景を追うためにスウェーデンに行きたい。そう強く思った。

エイミーとエルマをなぞる、模倣としての旅

「だから僕は音楽を辞めた」と「エルマ」は模倣​の物語だ。エイミーが残した手紙と写真を頼りに、エルマは彼を真似るように彼の旅した街を巡る。彼を真似て万年筆を使い、彼の文字を真似ながら詩を書いた。

君の口調を真似した
君の生き方を模した
何も残らないほどに 僕を消し飛ばすほどに
残ってる

「心に穴が空いた」 ヨルシカ 2019

そして、ぼくもまたエイミーを、エルマを模倣してスウェーデンを旅したのだった。

デザインにおける「模倣」と「参照」

思えば、デザインは専ら模倣している。

UIを設計するとき、AppleのHuman Interface Guidelines や Google の Material Design を参照する。あるいはデジタル庁のデザインガイドラインかもしれない。これらを「リファレンス」として手本にすることは、デザインにおける当然の作法だ。 しかし、リファレンスと言えば聞こえはいいが、その行為は模倣に他ならない。

これは今に始まったことではない。 ウィリアム・モリスも中世のギルドやゴシック様式を理想として範としたし、植物や動物といった自然を参照しながらデザインを制作​した。

模倣の果てにある「自分」

今回の旅ではストックホルムのガムラスタン(旧市街)、ゴットランド島のヴィスビー、そしてフォーレ島を訪れた。

中世のまま時間が止まったようなヴィスビーの街並みは美しかった。

ヴィズビーからバスで1時間、船で10分、ゴットランド島のすぐ北にあるフォーレ島は長閑で自然が美しい場所だ。島を囲む海は深い藍色で、緑の草原にはゴットランドシープが放たれている。北端の海岸は奇妙な形をした巨大な岩が立ち並んでいて、SFに出てきそうな景観だった。

海岸にそびえ立つ巨大な奇岩(ラウカル)のカラー写真。青い海と空を背景に、頭部が大きく首がくびれたような独特な形状の岩が写っている。画像下部にはその造形について「手塚治虫のマンガ『火の鳥』に出てくる惑星みたいだ」というテキストが添えられている。
モリケイタ「mono / non / fiction」p. 26

エイミーを、エルマの旅路を真似て、同じ場所の写真を撮りながら、ぼくは内省していた。自分がなぜ「つくる」仕事をするようになったのか。影響を受けた作品や作家はなんだったか。

マンガを描くうえで大きく影響を受けたのは西島大介だろう。いや、模倣した、と言うべきか。 演劇の脚本を書いていた頃は、つかこうへいを真似したこともあった。デザインに限らず、何を制作していても、ぼくは常に誰かを、何かを模倣してきたのだ。

でも、ぼくは西島大介にはなれないし、つかこうへいにもなれない。

エイミー、エルマを見て、彼らの見たものを見ていたつもりだったが、いつのまにか見ていたのは自分自身だった。

「選択」にこそ意味が宿る

エイミーを追い続けたエルマは、旅を通じて内省を繰り返し、彼の模倣ではなく、自分自身のために彼の物語を自分で書こうとする。

君の人生になりたい僕の、人生を書きたい

「心に穴が空いた」 ヨルシカ 2019

結局のところ、いくら模倣しようとしたって、そのままそっくり真似することなんてできない。どんなリファレンスを集めるのか。その中から何を取り出すのか、その選択にこそ意味があるのだ。そして、大事なのは「なぜそれらを選択したのか」ということだ。

なぜそれを選んだのか? を突き詰める

個で行う制作であれば、内省を通じてその「必然性」を見つけ出す作業が不可欠になる。 意識的、あるいは無意識的なリファレンス群から、なぜその色を選び、なぜその線を引いたのか。「なぜ」を突き詰めていきながら自分への理解を深め、自己の表現に到達していく。

企業やプロダクトのために行うデザインでも、同じことが言えるだろう。 デスクトップリサーチで多数の文献やデータを集め、ユーザーやステークホルダーへインタビューを行うのは、対象への理解を深めるためだ。

自己理解か他者理解かという違いはあれど、深い理解がデザインをする上で不可欠なのは言うまでもない。 そうして得た深い理解を礎にして、最適なデザインを作っていくのだ。

魂は、選択の「寄せ集め」でできている

リサーチや制作の現場に生成AIが浸透し、「つくる」形が変わってきている。でも、きっと求められる本質は変わらない。 何を集め、何を選ぶのか。

「だから僕は音楽を辞めた」「エルマ」に続くヨルシカのアルバム「盗作」もまた模倣をテーマとした物語だった。主人公は「音楽泥棒」として、音を「盗んで(録音して)」回る男だ。彼は、創作におけるオリジナリティの有無などどうでもいいと語り、最後には自らの盗作を自白することで、築き上げた名声を破壊する。

そうだ。
何一つもなくなって、地位も愛も全部なくなって。
何もかも失った後に見える夜は本当に綺麗だろうから、本当に、本当に綺麗だろうから、
僕は盗んだ

「盗作」ヨルシカ 2020

ライブ「盗作再演」では、破壊の果てに残ったもの——主人公の記憶の中にある妻との日々が語られる。 バス停に咲く百日紅、髪に挿した一輪草、二人で歩いた夏祭り。 それら美しくも儚い「思い出」の欠片たちが、彼の魂を形作っていた。

そして、物語はこう締めくくられる。

寄せ集めだ。
この胸にある魂 、
それはまさに、"盗作"である。

何を美しいと思い、何を拾い上げたのか。魂はその「選択」の寄せ集めなのだ。


本文中に挿入したマンガは以下の旅行記マンガです。
https://paruhiko.booth.pm/items/7394911
※このリンク先から購入できます。

「mono / non / fiction」

ヨルシカ「だから僕は音楽を辞めた」「エルマ」の舞台となったスウェーデンのガムラスタン、ゴットランド島を旅して描いた旅行記マンガ

マンガ 「mono / non / fiction」作者 モリケイタ
この記事は Goodpatch Anywhere Advent Calendar 2025 21日目の記事です。
森 慶太

森 慶太

情報アーキテクト / デザイナー
群馬県