ヨルシカを追ってスウェーデンへ —— 模倣と選択、そしてデザインについて
この夏、スウェーデンへ行ってきた。 渡航の目的はいくつかあったのだが、大きな動機となったのはヨルシカだ。
「だから僕は音楽を辞めた」と「エルマ」。 これらは、それぞれ対になる物語を描いたコンセプトアルバムである。
「だから僕は音楽を辞めた」では、音楽を辞める決意をした青年エイミーが、スウェーデンを旅しながら、かつてのパートナーであるエルマに向けて手紙と歌詞を書き綴る。対して「エルマ」では、その手紙を受け取った彼女が、エイミーの足跡を追って旅をしながら日記に想いと歌詞を書き記していく。
各アルバムの初回生産限定盤には特典が同梱されており、「だから僕は音楽を辞めた」ではエイミーがエルマへ向けた手紙と風景の写真、「エルマ」 ではエルマが書いた日記と写真で物語が紡がれる。
つい先頃、内容がヨルシカのWebサイトで公開されたので、興味のある人は是非見て欲しい。
「だから僕は音楽を辞めた」エルマへ向けた手紙
https://yorushika.com/feature/moonlight
「エルマ」 エルマが書いた日記帳
https://yorushika.com/feature/elma
旅のきっかけは、あるヨルシカのファンが書いたブログ記事だった
当初、スウェーデン行きを検討し始めたのは、位置情報ゲーム「Ingress」のイベントがイェーテボリで開催されると知ったからだ。 しかし、如何せんヨーロッパは遠い。Ingressのイベントだけのために渡航するのは、少なからずためらいがあった。
スウェーデンに行って、何をしようか。そんなときに見つけたのがこのブログ記事だった。ヨルシカが好きな学生によるスウェーデン旅行の記事。「だから僕は音楽を辞めた」「エルマ」の写真に映っている場所を訪れるために旅をしたという。

この記事を読み、自分も同じようにエイミーとエルマが歩いた街を、彼らが見た風景を追うためにスウェーデンに行きたい。そう強く思った。
エイミーとエルマをなぞる、模倣としての旅
「だから僕は音楽を辞めた」と「エルマ」は模倣の物語だ。エイミーが残した手紙と写真を頼りに、エルマは彼を真似るように彼の旅した街を巡る。彼を真似て万年筆を使い、彼の文字を真似ながら詩を書いた。
君の口調を真似した
君の生き方を模した
何も残らないほどに 僕を消し飛ばすほどに
残ってる
「心に穴が空いた」 ヨルシカ 2019
そして、ぼくもまたエイミーを、エルマを模倣してスウェーデンを旅したのだった。


モリケイタ「mono / non / fiction」pp.4-5


モリケイタ「mono / non / fiction」pp.6-7
デザインにおける「模倣」と「参照」
思えば、デザインは専ら模倣している。
UIを設計するとき、AppleのHuman Interface Guidelines や Google の Material Design を参照する。あるいはデジタル庁のデザインガイドラインかもしれない。これらを「リファレンス」として手本にすることは、デザインにおける当然の作法だ。 しかし、リファレンスと言えば聞こえはいいが、その行為は模倣に他ならない。
これは今に始まったことではない。 ウィリアム・モリスも中世のギルドやゴシック様式を理想として範としたし、植物や動物といった自然を参照しながらデザインを制作した。
模倣の果てにある「自分」
今回の旅ではストックホルムのガムラスタン(旧市街)、ゴットランド島のヴィスビー、そしてフォーレ島を訪れた。
中世のまま時間が止まったようなヴィスビーの街並みは美しかった。


モリケイタ「mono / non / fiction」pp. 10-11


モリケイタ「mono / non / fiction」pp. 12-13
ヴィズビーからバスで1時間、船で10分、ゴットランド島のすぐ北にあるフォーレ島は長閑で自然が美しい場所だ。島を囲む海は深い藍色で、緑の草原にはゴットランドシープが放たれている。北端の海岸は奇妙な形をした巨大な岩が立ち並んでいて、SFに出てきそうな景観だった。


モリケイタ「mono / non / fiction」pp. 24-25

エイミーを、エルマの旅路を真似て、同じ場所の写真を撮りながら、ぼくは内省していた。自分がなぜ「つくる」仕事をするようになったのか。影響を受けた作品や作家はなんだったか。
マンガを描くうえで大きく影響を受けたのは西島大介だろう。いや、模倣した、と言うべきか。 演劇の脚本を書いていた頃は、つかこうへいを真似したこともあった。デザインに限らず、何を制作していても、ぼくは常に誰かを、何かを模倣してきたのだ。
でも、ぼくは西島大介にはなれないし、つかこうへいにもなれない。
エイミー、エルマを見て、彼らの見たものを見ていたつもりだったが、いつのまにか見ていたのは自分自身だった。
「選択」にこそ意味が宿る
エイミーを追い続けたエルマは、旅を通じて内省を繰り返し、彼の模倣ではなく、自分自身のために彼の物語を自分で書こうとする。
君の人生になりたい僕の、人生を書きたい
「心に穴が空いた」 ヨルシカ 2019
結局のところ、いくら模倣しようとしたって、そのままそっくり真似することなんてできない。どんなリファレンスを集めるのか。その中から何を取り出すのか、その選択にこそ意味があるのだ。そして、大事なのは「なぜそれらを選択したのか」ということだ。
なぜそれを選んだのか? を突き詰める
個で行う制作であれば、内省を通じてその「必然性」を見つけ出す作業が不可欠になる。 意識的、あるいは無意識的なリファレンス群から、なぜその色を選び、なぜその線を引いたのか。「なぜ」を突き詰めていきながら自分への理解を深め、自己の表現に到達していく。
企業やプロダクトのために行うデザインでも、同じことが言えるだろう。 デスクトップリサーチで多数の文献やデータを集め、ユーザーやステークホルダーへインタビューを行うのは、対象への理解を深めるためだ。
自己理解か他者理解かという違いはあれど、深い理解がデザインをする上で不可欠なのは言うまでもない。 そうして得た深い理解を礎にして、最適なデザインを作っていくのだ。
魂は、選択の「寄せ集め」でできている
リサーチや制作の現場に生成AIが浸透し、「つくる」形が変わってきている。でも、きっと求められる本質は変わらない。 何を集め、何を選ぶのか。
「だから僕は音楽を辞めた」「エルマ」に続くヨルシカのアルバム「盗作」もまた模倣をテーマとした物語だった。主人公は「音楽泥棒」として、音を「盗んで(録音して)」回る男だ。彼は、創作におけるオリジナリティの有無などどうでもいいと語り、最後には自らの盗作を自白することで、築き上げた名声を破壊する。
そうだ。
何一つもなくなって、地位も愛も全部なくなって。
何もかも失った後に見える夜は本当に綺麗だろうから、本当に、本当に綺麗だろうから、
僕は盗んだ
「盗作」ヨルシカ 2020
ライブ「盗作再演」では、破壊の果てに残ったもの——主人公の記憶の中にある妻との日々が語られる。 バス停に咲く百日紅、髪に挿した一輪草、二人で歩いた夏祭り。 それら美しくも儚い「思い出」の欠片たちが、彼の魂を形作っていた。
そして、物語はこう締めくくられる。
寄せ集めだ。
この胸にある魂 、
それはまさに、"盗作"である。
何を美しいと思い、何を拾い上げたのか。魂はその「選択」の寄せ集めなのだ。
本文中に挿入したマンガは以下の旅行記マンガです。
https://paruhiko.booth.pm/items/7394911
※このリンク先から購入できます。
「mono / non / fiction」
ヨルシカ「だから僕は音楽を辞めた」「エルマ」の舞台となったスウェーデンのガムラスタン、ゴットランド島を旅して描いた旅行記マンガ


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